怒っても、泣いても、私。

「誰かに見抜かれているんじゃないか」という感覚

寧子と津奈木が持っていたそれとは若干違うものかもしれないのだけれど、私も高校の頃からずっとずっと持っています。

自分の浅はかさだったり、情けなさみたいなダメな部分が

自分の身体の周りに張り付いている紙フィルターを通してじわじわとにじみ出ているような気がしていて。これは今大学生になってもずっと続いています。

でも紙フィルターの中のドロドロした部分はやっぱりいちばん自分が分かっているから、みんなと少し違うのも分かっているから

だから苦しくなってしまうのです。



『生きてるだけで、愛。』を観ました。友達とは、「上映期間短すぎるよね」なんて話して。1月5日から1月18日まででした。短い。


なぜか観ないといけないと感じた年明け

誰かと観ないといけないと感じた当日

偶然が重なって、1度目は友人と、2度目は自分で観に行きました。今でも鮮明に覚えています。両日。


1度目はピンとこず、でもすごい心に刺さって。何が刺さったのかわからなかったのだけれど、日付が経つごとに自分の思いと寧子の思いが交錯していきました。


劇中で寧子が

「頑張ろうと思ってみると躁になって でもその後鬱がくるのは分かっているのに」

みたいなことを言っているシーンがありました。

本当にうつ病と診断されているかどうかっていうのはこの時どうでも良くて。自分の中に躁の自分と鬱の自分がいて、その自分をある程度客観視できる自分もいる。

寧子も感じていたんだと思うと、ぶわりと涙が出てきました。

こんなダメダメな自分ですら自分を見抜いている。だからこそ他人にも見抜かれているんじゃないか、って思ってしまうのかなと、そう思いました。



初めて観た次の日、電車の中でこの記事を見つけて。


「着ていても、脱いでも、見抜かれている気がする。だから、身も心も裸になるんだ。」


寧子を演じた趣里さんはこう答えていました。



愛とか恋とかがテーマの作品ではよく、キスシーンや肌を重ねるシーンがあるけれど、この作品にはなくて。

ただ津奈木が寧子を抱きしめるという行為だけが二人の間には在ります。抱きしめてそばにいて見つめるだけ。それはラストのシーンでもそう。


パンフレットにも

「惚れた腫れたの話ではなく、人と人とのつながりという意味でのラブストーリーにしたいと思いました」

と関根監督の言葉がありました。


だから本当にお互いの気持ちを確かめ合えるシーンは、屋上とそのあと帰った停電した部屋でのシーンだけだったのではないかなと思います。

2人がいつ分かり合えたのかなんてのは見てる側からしたらほんとうにわからないけれど。


寧子も津奈木も私もあの人も、一人一人が折り合いのつかなさみたいなものを心の奥に持っていて。

でもそんなものはいつでも他人と共有できたり「生きづらい」という一言で表現出来るものでは無いからこそ、分かり合える一瞬がとても大事なんだな、とも思いました。



2度目の『生きてるだけで、愛。』の後、出町座の本棚をだらだら眺めてたら

『音楽とワタシ』という雑誌で


音楽と髪は似ている。

ほおっておいても伸びてくる髪と

黙っていても滲み出てくる言葉や音は

自分でも制御できなくて、ときに苛立ち、喜び、

それこそが、自分、なんだと思わせてくれる。

デザインとかトレンドとか、そんなものではなくて、

「私です」といえる髪。

濡れても、揺れても、私の髪。

私にしかできない髪を、音楽から紐解いてみようと思う。


という言葉を読んで。




これを見たときに、ラストシーンの寧子の

「いいなあ、津奈木は。私と別れられて。」

という言葉がより一層心に響いてきました。


そもそも映画のセリフやポスターに登場していた

“分かり合える瞬間”

というのは他人とではなくて“自分”と分かり合える瞬間、にもいえることなのかもしれません。

死ぬまで別れられないからこそ。

自分の中にいる浅はかさを見抜いている自分と、必死に生きているじぶんとが分かり合う事が出来たら。

寧子も私もいつか、そんな時が来たらいいなあと思いました。



16ミリで撮られた大画面に広がる寧子と津奈木。

二人の横顔は作品の音と光と同じくらい、いや、それよりももっとずっと美しかったです。

津奈木が美しいと思った青いスカートのように、

私もこういうものをみたくて映画館に足を運ぶのかな、と思ったりしました。



誰かに見抜かれている自分自身

かっこ悪い自分自身

愛するのが愛されるのが苦手な自分自身

と、生きていかないといけない。

いろんな自分をたくさん考え直すことができる映画でした。


素敵な映画体験に、ありがとうを。


映画チア部 岡本



【1月26日 追記】

出町座で2月16日からの2週間、『生きてるだけで、愛』の再上映が決定しました!!!

見逃した方も、そうでない方も足を運んでみてくださいね!

映画チア部京都支部

関西のミニシアターの魅力を伝えるべく結成された、学生による学生のための宣伝隊〈映画チア部〉の京都支部です。2018年5月発足

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