『TOMMY』 伝説をもう一度
イギリスのロックバンド、ザ・フーがアルバム『TOMMY』を発表してから50年。そしてそのアルバムを原案とする映画『TOMMY』に出演しているエルトン・ジョンがモデルの伝記映画『ロケットマン』が今夏に公開。そんな記念すべき年に、『TOMMY』のリバイバル上映が行われました。
過去にDVDで本作を鑑賞して大きな衝撃を受けた私はこの貴重な機会を逃すわけにはいかず、シネリーブル梅田にてチア部部員のおかともと鑑賞。何としても見に行きたかった作品なので本当に良かった。
DVDでの鑑賞に次いで2度目の鑑賞ということでいろいろ気づいた部分も多かったため、鑑賞レポートをここに記しておこうと思います。この記事を見た人が『TOMMY』に興味を持って、ぜひ見てもらえればいいなという気持ちも込めて。
ちなみに、『TOMMY』については以前別の記事で軽く紹介しているので、良ければそちらもご覧ください。
『TOMMY』とは
そもそもは1969年に発表されたザ・フーのオリジナルアルバムです。楽曲が1つの物語を築く「ロックオペラ」というジャンルを確立したのがこの一作で、アルバム一枚を通してギターボーカルのピート・タウンゼントが2年をかけて構想した広大な世界観を感じることができます。
そしてそのアルバムを原案とし、鬼才ケン・ラッセルが監督したのが本作。ザ・フーのボーカルであるロジャー・ダルトリーを主役に起用し、同じくメンバーであるキース・ムーンや『シャイニング』のジャック・ニコルソン、エルトンジョンやティナ・ターナーといった豪華アーティストをキャスティング。抽象性の高かったオリジナルのストーリーは、一青年の孤独と苦悩、そして栄枯盛衰の物語としてより具体的に昇華され、ラッセルの持つ独特なセンスによって芸術的に作り上げられています。
タウンゼントが生んだ壮大な物語、映画のためにより煌びやかになったフーの音楽、そしてラッセルの刺激的な世界観。そのすべてがひと時も休むことなく、とめどなく滝のように、111分ずっと鑑賞者に降りかかってくる、そんな映画です。
物語
アルバムで語られる物語をラッセル流に解釈し組み直したのが映画のストーリー。登場人物の関係性が少し変わっている部分を除けば、大体はアルバムの通りに話が進んでいきます。
普通のミュージカルのように劇中で歌が入るのではなく、一曲一曲で場面が割り振られている点、本作は独特な構成です。アルバムで元からあった曲に加え、ラッセルが追加したシーンに合わせピート・タウンゼントが数曲書き下ろしています。
親が起こした事件がきっかけで「見えない・聞こえない・話せない」の三重苦になってしまった青年トミーが、ピンボールマシンに出会ったことで自身に変化が訪れていく…というのが話の大筋。三重苦を乗り越えたトミーは、人間の閉ざされた自我を開放する術を伝えるために新興宗教の教祖にまでなってしまい、最後には何もかも失って「真の自由」を得ます。
こんなあらすじでは訳が分からないのですが、実際映画を見てみるとストーリー自体はそう難解ではありませんでした。画がどぎついので「訳が分からない」ことに変わりはありませんが。「幼少期のショックで心を閉ざした主人公の成長」と考えるとすんなり入ってきます。
アルバム制作につきプロットを書いていたころのタウンゼントはインド哲学に傾倒していたようで、物語にも宗教的、哲学的な要素がところどころで現れています。自由、光、鏡のような頻繁に出てくるモチーフは悟りや自我の開放などを連想させます。トミーの三重苦も、若者ならではの孤独や不安が表現されたもの。奇抜な演出と音楽でやたら情報量が多くなっているため一見めちゃくちゃに見えるこのストーリーは、いたってシンプルでした。
"見て、聞いて、触れ、感じる"『TOMMY』
本作の特筆すべき点は前衛的で派手でアーティスティックな映像と素晴らしい音楽。劇中で主人公トミーは何度も「See Me, feel me. (僕を見て、感じて)」と心の内なる声を漏らします。鑑賞者はそんな彼の呼びかけに呼応するかのように、美しい画と音楽で、トミーという人間を見て、聞き、そして感じることができます。
私は初めてこの映画を見たとき、強烈な色彩と画の奇抜さに圧倒されました。先にアルバムを聴いてからの鑑賞だったので劇伴には聴きなじみがあるとして、とにかく画面の強さが頭に響いてくるばかりでした。
例えば、麻薬の女王ジプシークイーンのシーンは赤色で統一され、いとこのケビンのシーンは黄色、叔父のアーニーのシーンは青色と、場面別で色味が大きく違っていたりします。これらの「色分け」された経験は、物語の後半でトミーが閉ざしていた心を開放するためのカギになります。中盤で鏡に映るトミーが赤、黄、青に分裂していることがその象徴です。
歌のみでセリフがなく視覚情報が重要になってくるこの映画。物語に説得力をもたらす演出の数々は、見事としか言いようがありません。
画面の奇抜さでいえばどのシーンをとってもそうなので、うまく言えないのですが、特に目を引くシーンが結構あります。
まず先述したジプシークイーンのシーン。ティナ・ターナー演じる麻薬の女王が、三重苦に陥ったトミーを治療すると言い張りドラッグにおぼれさせてしまう場面。荒々しいティナ・ターナーの踊りと、アイアンメイデンのような装置に入れられ注射を打たれて悦に浸るトミーの少しな不気味な笑顔。そして時折ちらつく亡き父の歪んだほほえみ。説明もなくただ目まぐるしく繰り広げられる不可思議な光景はまるで幻覚を見ているかのよう。パンチの強い絵面がかなり気になりますが、トミーの父の墓にある十字架に添えられていたアネモネが彼の体中についていたりして、色々考える部分のあるシーンでもありました。
ほかにも代表的な場面として、ピンボール大会でチャンプとトミーが対決するところ。エルトン・ジョンが歌う「Pinball Wizard」はのちにシングルでリリースされるほどの名曲で、トミー達の白熱した戦いを大きく盛り上げています。
もう本当に視覚的なところのインパクトがすごい映画だなと、このシーンでも思います。とにもかくにもチャンプの履いている靴がめちゃくちゃにでかいんです。ピアノを弾いてピンボールマシンを操作しているのだってなかなかにおかしい。
全く見たことのない映像の連続で、まるで脳がぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような感覚。
この「Pinball Wizard」をはじめ、たくさんの曲がこの映画を彩っているわけですが、音楽を担当しているのはザ・フーのピート・タウンゼント。原案と作詞作曲、編曲を手掛けた彼こそこの映画のすべての始まりであり、作品を彩る立役者です。ストーリーも曲も、彼がほとんど1人で作り上げたというのがすごい。文でも音楽でも、自身の持つ世界観を完璧に表現できるその才能は、本当に恐ろしいものだと感じます。
輝かしい自由
朝日に始まり、朝日に終わるのが印象的なこの映画。自由だとか解放という、何かものすごく晴れ晴れとしたイメージが残り、明るい気分にさせてくれます。
なんというか、本作ほど形容のできない感情に襲われたものはありません。
決して映画を通して啓発されているわけでもないのに、鑑賞後は自分の中の何かが変わったような、不思議な気持ちになるし、ずっと体がポカポカして、頭がひどく熱い感覚。悲しかった、楽しかったというようなハッキリとした感情はなく、宙に浮いているみたいにすべてがフワフワとして落ち着きませんでした。
エンターテイメントとして芸術性を限界まで高めた作品でありながら、観たものの心に何か大きな感情を残していく、それが『TOMMY』の魅力だと私は思っています。
SFやファンタジーとはまた何か違った「ありえない物語」。独自性だけを取っても、十分見る価値のある映画だと感じました。もちろん、ザ・フーによる楽曲も、ケン・ラッセルの織り成す世界観も、映画を華やかにするアーティストたちも、すべて見どころです。なにより、演技初経験とは思えないロジャー・ダルトリーの名演は本当に見ものだと思います。
物語終盤、今まで積み上げてきたものの全てを失ったことにより、汚れた人間関係や富、名誉から解放されたトミー。本当の自由を手にした彼の晴れやかな笑顔は、朝日に照らされて輝いていました。太陽の光に包まれながら体を大きく広げるトミーの画で、映画は幕を閉じます。彼を祝福するかのように流れ続ける「Listening to You」。空のような広がりを感じさせる壮大な音楽と、一面のオレンジに、自由の輝きを見たような気がします。
映画チア部京都支部 ダーマエ
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